辻晋堂 略年譜

                      
1910年 10月28日 取県日野郡二部で誕生。辻藤一・ 茂代の長男 為吉と命名。
1923年15歳 二部小学校卒業 大工の弟子となる。文芸や禅に親しむ。
1930年20歳 徴兵検査で黄疸のため丁種 兵役免除となる。
1931年21歳 上京。約一年間洋画を学ぶ。独学で彫刻を始める。
1933年23歳 第20回日本美術院展に辻汎吉(はんきち)名で石膏 [千家元麿氏像] を出品初入選。以後入選を続ける。
1935年25歳 日本美術院院友に推挙される。この頃から木彫に本格的に取り組む。
1936年26歳 兵庫県浜坂町の松森静恵と結婚 東京池袋に住む。
1938年28歳 長女茜誕生。得度して晋堂と改名。アトリエに自警文 «イマヤラネバイツデキル オレガヤラネバダレガヤル»
1939年29歳 第26回院展で木彫 [婦人像] 第二賞を受ける。
1940年30歳 二女早苗誕生。
1941年31歳 第28回院展で [村の男] は美術院第二賞を受ける。郷里の二部小学校正門にセメント [拓士の像] 制作。
1942年32歳 三女有子誕生。第29回院展で [詩人大伴家持試作] 第一賞を受け, 異例の若さで日本美術院同人に推挙される。
1943年33歳 臨時海軍報道班員 上海に派遣される。11月故郷二部村に疎開。
1944年34歳 長男敦夫誕生。日野農林学校に勤務。同僚に歌人早川幾忠。
1945年35歳 敗戦。11月米子で第一回麓人会展に出品。二部では兀兀(ごつごつ)会に参加。
1949年39歳 京都市立美術専門学校教授となる。翌年市立美術専門学校が市立美術大学となり彫刻科助教授となる。
この頃から作風は抽象化し陶彫に取り組む。
1955年45歳 京都市立美術大学彫刻科教授となる。
1957年47歳 第4回サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展に出品。
1958年48歳 第29回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に出品。
またグッゲンハイム美術館における七人の彫刻家・彫刻とドローイング展に出品。
1961年51歳 アメリカ ピッツバーグのカーネギー国際美術展に出品。以後海外の美術展にたびたび出品。
1974年64歳 京都市立美術大学学長に当選するも固辞する。
1976年66歳 同学定年退職 名誉教授。
1977年67歳 京都市文化功労者。
1981年 71歳 食道癌のため8月18日 京都市東山区の自宅にて死去。正四位勲三等 法名 雲蓋晋堂大和尚。墓地は故郷二部。
2004年 4月 静恵夫人死去 94歳。11月 晋堂溝口町名誉町民。
2005年 9月米子で鳥取県主催の辻晋堂顕彰行事として作品展・フォーラム・二部へのバスツアー。

安達允 筆





辻晋堂こぼれ話


安達允 筆