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辻 晉堂の人と作品

木村重信
出典「辻晉堂陶彫作品集」講談社 1978


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辻晉堂さんと私との交遊は昭和二十八年に始まる。私が京都市
立美術大学(現在の京都市立芸術大学美術部)に勤めて辻さんと
同学になって以来であるが、その後の私の人生において最も親
しく深くまじわった人は辻さんである。
もちろん辻さんは私の大先輩であるから、芸術について、学問
について、さらには生き方にいて、教示をうけるのは一方的に
私の側であった。にもかかわらず辻さんは私を後輩としてでな
く終始一貫して親しい友人として扱った。

もう十五年も前のことだろうか、京都のある居酒屋へ私が入っ
たとたん、辻さんに殴られたことがある。スタンドの椅子に腰
をおろそうとして中腰になったところだったので、私は吹っと
んだ。その当時、私が他の大学へ転出するという噂があったら
しく、それをきいた辻さんは、美大をやめるのはけしからん、
しかも自分に相談しないのは水くさいというわけである。その
噂は事実ではなかったので辻さんの怒りはすぐにとけたが、私
は殴られつつも、それほどまでに私のことを思う辻さんに心か
ら感謝した。

また、こんなこともあった。昭和三十三年に辻さんは「ヴェニ
ス国際美術ビエンナーレ」に招待出品することになったが選考
委員会の意向としては木彫の出品を期待したようであった。

しかし辻さんは木彫を出す気持はなく、サン・パウロ国際美術
展に引き続いて、陶彫を出品するつもりでいた。
そこで私は、このようなチャンスはなかなか来ないのだから新
作を造ってグラン・プリをねらうべきだと言った。この言をき
くや、辻さんは研究室に三ヶ月ほど閉じこもり、部屋の入り口
に「 制作中につき面会謝絶」という貼り紙をして制作に没頭し
た。そしてときどき私を呼び出して、作品についての批評を求
めた。この際の諸作品は後述するように、辻さんの長い作家生
活においても、ひとつのピークを形成していると、私は思う。

辻晉堂さんとの三十年近い交際を通じて、私が感じたことは、
辻さんの言うこと、なすことに真実があることである。さらに
言えば、個々の言葉や行為の意味を了解する前にもっと直接に
辻さんの人柄からくる真実を肌身で感じたことである。
訥々と語るその口調は独特で、芸術に対し、人に対して、辻さ
んは鋭い言辞を吐く。しかしその言辞が、外にむかってという
よりも、むしろ内にむかっているように感じられるのは、やは
り辻さんの「人」の故である。

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また辻さんは日本文化に関する学識が深く、文章も巧みである。
『仏教芸術』という学術誌に浄瑠璃寺や神護寺などの仏像につ
いてのすぐれた見解を述べ、『歴史と京都』(淡交社)に夢窓疎
石に関するユニークな論文を発表したりした。
なお、辻さんは旧仮名遣いの信奉者である。
『ある停年教授の人間像 - 上野照夫考』(永田書房)において辻
さんの文章を出版社の方で勝手に新仮名遣いに改めた際、その
ゲラ刷りを、編集を担当していた私がさらに旧仮名遣いに直し
たが、「考え」と「いる」の二ヶ所を直し忘れ、恥しい思いを
したことがある。そんなこともあって、この作品集には私も旧
仮名遣いを用いることを考えたが、若い読者のことを慮って、
名遣いとした。

このように辻さんは深い学識を有するが、しかし辻さんの本領
はやはり芸術にある。辻さん自身が彫刻家であり、版画家なの
であるから、それは当然かも知れないが、ここで言いたいのは
辻さん自身の芸術についてではなく、他人の作品にたいする鋭
い観察眼についてである。それに関しては、辻さんが芸大彫刻
科の主任教授として、多くのすぐれた作家を育てたことからも
証明されるがここではあまり知られていないある事柄について
述べたい。

京都の教王護国寺 (東寺)の講堂に梵天像がある。平安時代の優
作であるが昭和二十年代の後半に解体修理された。
これは像そのものは少しもいたんでおらず、ただ表面の彩色に
剥落したところがあった。したがって解体修理の必要性は全く
なかったはずなのに徹底的に修理された結果、もとの作品とは
まるで違ったものに変ってしまった。
このことをいち早く指摘したのが、辻さんである。
その経緯は『仏教芸術』二十四号 (昭和30年4月) の「古美術の
保存と復原」という座談会にくわしくあらわれているが、辻さ
んは衣紋のひだ、両腕の開きの角度、掌の上向きの角度、さら
には元の像では半開きになっていた左掌が、修理後は拳固のよ
うに握られていることなど、多くの事実をあげている。

そして辻さんから修理前と修理後の梵天像の写真を見せられた
小林太市郎さんは「修理後の作品は近ごろの日展にでも出る彫
刻だ」とさえ言って、辻さんの意見の正しさを認めた。多くの
学者たちが見て、しかも気づかなかった梵天像の変りようを発
見し、仏像の修理について大きな問題を投げかけたこと、そこ
に辻さんの鋭い観察眼が端的にあらわれている。