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辻 晉堂の人と作品

木村重信
出典「辻晉堂陶彫作品集」講談社 1978


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京都市立芸術大学の玄関前の池の中央に、五年間ほど辻さんの
人物彫刻が置かれていたことがある。昭和二十年代の終りから
昭和三十年代の初めにかけてである。
これは白セメントでつくられた等身大の人像で、周囲の景観と
もよく融合して、美術学校らしい雰囲気をかもし出していた。
この像は不幸にも近所の子供たちのいたずらによって破損した
ので撤去されたが、昭和二十年代に辻さんはこの種のコンクリ
ート製の彫刻をいくつかつくっている。

それ以前は塑造や木彫の作品が主であったが、それらのなかに
は『梅原真隆』『千家元麿』『小熊秀雄』『平櫛田中』
『長崎太郎』各氏の肖像彫刻が含まれている。いずれも様式的
には具象的な作品である。
また『詩人ー大伴家持試作』と題された木彫の青年像は昭和十
七年度の日本美術院賞となった。

辻さんが陶彫に専念するようになった昭和三十年以後でも、大
作の『野中兼山記念像』のような肖像や仏像さらには多くの木、
ブロンズ、鉄製の抽象彫刻をつくっている。
しかし、この作品集には陶彫のみが収録されているので、ここ
では陶彫を中心に述べたいと思う。

辻さんが陶彫の作品を初めて発表したのは昭和三十一年の東京
丸善画廊での個展においてである。正確には、昭和二十九年の
京都丸善画廊での個展作品に二点の陶彫がまじっているから、
その時が最初であるが、本格的な発表は昭和三十一年である。
そのとき『寒山拾得』『樹』『猫の頭』『ダル』『禁煙』
『切株』『犬』など十五点が出品されたが、人間の顔のイメー
ジをとどめる『顔』を除きすべて純粋抽象の作品である。

しかしこれらの作品には無機的なつめたさはなく、きわめて生
命的な有機性があふれており、いわばビオモルフィック(生命形
態的)である。それには、形態的に凸部と凹部の対応が微妙であ
ることが作用しており凸部はいわば寄せる波のヴォリュームと
して、凹部は引く波のリズムとしてとらえられている。しかも
両者が織りなす自由な空間の戯れ ––– 。

この特異な彫刻を折から来日中のグッゲンハイム美術館のスウィ
ーニー館長が見て感動し、昭和三十三年のグッゲンハイム美術
館での「七人の彫刻家の彫刻と素描展」に招待した。出品作品
はスウィーニー氏の指定した『樹』と『猫の頭』である。そし
て辻さん以外の作家は、フランスのマルタンとアジュ、イギリ
スのパオロッテイ、スペインのチリダ、アルゼンチンのペナル
バ、アメリカのレカキスであった。

辻さんが陶彫の制作を始めるについては、京都という土地が密
接に関連している。京都では古くから焼物が盛んにつくられ、
現に多くの陶芸家がいるから各地の陶土が豊富にもたらされて
いる。とくに京都市立芸大の近くは清水焼の中心地で、利用す
ることの出来る窯が多くある。そのような地の利を生かそうと
いう思いもあって、それ以後辻さんは陶彫に専念する。

辻さんの陶彫制作の開始は、また一方では八木一夫、鈴木治、
熊倉順吉、山田光といった前衛陶芸集団「走泥社」の人たちを
勇気づけ、その後いわゆるオブジェ焼の中心として、京都の陶
芸界が世界から注目される端緒ともなった。

昭和三十二年辻さんは「サン・パウロ国際美術ビエンナーレ展」
に 同じく陶彫による『時計』二点と『鳥』を招待出品した。
『時計』は不整形の丸い立体に足をつけ、その中央に円形また
は四角の凹部をつくったものでまた『鳥』は渦状の形態を示す。
いずれも前年の個展作品の延長線上に位置するものであるが、
凸面と凹面の対比は前の作品よりも厳しくなっている。

昭和三十二年の暮から翌年にかけて、先述のように、辻さんは
「ヴェニス国際美術ビエンナーレ展」への出品作を制作するた
めに三ヶ月ほど研究室にこもる。授業や会議に出る以外はほと
んど外出しないという没頭ぶりであった。

なにしろ大作を十数点もつくるのだから、大量の陶土を練った
り作品を移動したりするのも大変で、これらの仕事は研究生の
児玉正美君や梅本昭君その他の学生が手伝った。大きな彫刻台
に林立する完成または未完の作品の周囲には張りつめた空気が
ただよっていた。
とくに私が「まるで大砲のようだ」と評した『馬と人』は圧倒
的なヴォリュームをもって迫ってきた。

大きな皿をつくった人なら誰でも知っているように、陶土で大
きな彫刻をつくると、すぐにへたばる。それを避けるために、
あまり起伏のない厚い肉付の彫刻をつくると、今度は窯で火入
れしたときに割れる。このように陶土は実に扱いにくい材料で
あるが、ましてや辻さんのように一メートル以上の大作ともな
ると、種々の工夫が要求される。

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そこで辻さんの採った方法は、大別して次の五種である。
(1) 横に長い、平べったい形にすること。
 『牡牛』がそれで、180センチの大作である。
 しかし陶彫の場合、それだけでは不充分で、
(2) 彫刻の各所に穴をあけて窯での火回りをよくしなければなら
ない。『牡牛』でもこの種の穴や、土の厚みをうすくするため
のくぼみが各所につくられている。このように、技術的な工夫
と牛のイメージとを巧みに結びつけた点に『牡牛』の造形的成
功の秘密がある。

しかし、立つ人間のイメージを実現しようとするときには
『牡牛』のような横長の形態にするわけにはいかない。
したがって、
(3) 縦長の彫刻では下部を重くし上部を軽くするとともに、
先の (2) の方法が併用される。
『寒山』『拾得』『蛙』などに、この技法が採用されている。

しかし、物理的な事柄と芸術的な事柄とは異るから、この技術
を正直に適用すると、作品は鈍重な印象を与えるものとなる。
そこで辻さんはきわめて賢明な方法を案出した。その方法とは、
(4) 視覚的には下部よりも上部の方が量感のあるように見える
形態にすることである。

たとえば『寒山』では、人物が両手に持つ紙を大きくひろげて、
下方に垂らすという方法がとられている。しかもその紙には文
字が線刻されていて、軽さの感じをさらに強めている。
また『拾得』では右手に箒を握らせ、しかもそれは宙に浮いて
いる。
『拾得』の箒は『巡礼者』では杖にかわるが、その杖は垂直に
ではなく上部が外側に傾けられて、彫刻全体がV字形となって
いる。この『巡礼者』の場合、細い二本の脚で身体を支えてい
るため、物理的に不安定で、へたばる危険性がある。そこで、
(5) 彫刻全体をつとめて扁平にして上体の重量を減らすという
方法が採られている。この扁平性は『沈黙』においても見られ
るが、この場合は脚部を矩形にして大きな上部を支えるという、
安定した構成となっている。

このように陶彫には技術上の大きな制約がある。
辻さんは、その技術的制約のなかで最善をつくそうとし、また
その制約を自己のものとしようとする。
はじめから焼き上がりを計算しながら制作を進めつつ、その計
算を彫刻の内容とすることに務める。
その意味でこれらの作品には、奔放なイマジネーションと技術
的制約との果てしない葛藤がある。いな、むしろ辻さんの場合
材料の抵抗がイマジネーションを触発するといったところがあ
る。それがこれらの作品の最大の魅力である。

辻さんはまたこれらの作品のいくつかに釉薬を掛けている。
『蛙』の場合は黒釉を塗って成功したが、部分的に鉄砂釉を掛
けた『拾得』では、釉薬中の水の分量が多すぎたため、褐色の
よごれ色がついただけの結果となった。
釉掛けした陶壁を窯にいれると、予想した色に焼きあがらない
ことがあるが陶彫の場合にも窯の火の偶然性がかなり作用する。

しかし辻さんはそのことにはあまりこだわらない。なぜなら
辻さんは、芸術家は際限のない自由の地平線で芸術創造を企て
ているのではなく、人間が永遠に生きられないのと同じように、
芸術には何か運命的な限界があることを自覚しているからであ
る。ただ、そのような限界を単なるお仕着せの限界とするか、
それを自らのものとするかが問題であると考えるのである。
辻さんの彫刻から受ける一種の宗教的な香気はこのような態度
に由来すると、私は思う。

ところで、これら十二点の作品は東京国立近代美術館での国内
展示会に出品された後、このうちの七点がヴェニスに送られた。
その七点のなかには『拾得』は入っておらず、別に『山の人』
が含まれている。ヴェニスへの輸送の途次『巡礼者』の一部が
こわれたが、現地で修復された。

この「第二十九回ヴェニス国際美術ビエンナーレ展」への日本
からの出品者は、辻さんのほかに、絵画は日本画の前田青邨と
川端龍子、洋画の福沢一郎と岡田謙三、彫刻は木内克の各氏で
あった。
吉坂隆正氏の設計および監督によって新築されたばかりの日本
館での初めての展示であるが、辻さんも私もみていない。

しかし私は、知人の著名な美術評論家である、フランスのス
フォール氏から、辻さんの彫刻に関するきわめて好意的な批評
を記した手紙を受け取った。今この文章を書くに際して、その
手紙を探したが見当たらず細かい内容は忘れたが、青邨さんや
龍子さんにたいする手厳しい批評とは逆に、辻さんの彫刻にた
いしてはかなり詳細に褒め言葉が記されていたと記憶している。
なお、スフォール氏の次の著書には、日本人作家としてただひ
とり辻さんが取りあげられている。

Michel Seuphor : La sculpture de ce siècle, 1959.
(別名 Dictionnaire de la Sculpture Moderne)